2023/12/05

僕の人生では、秋に誕生日を迎える。

今年特別な誰かと特別などこかで迎えるはずだった誕生日は、ドがつくクソ田舎の地元でひっそりと迎えた。

金持ち風の日本家屋だけど、誕生日に出てくる生ハムは ローカルスーパーのオリジナルブランドが作った一番安いやつだ。まあ、そんなに美味しかねえ。

20回以上誕生日を迎えても祝ってくれる家族がいる。世界への存在を許されているらしい。

でもまぁ、その世界で僕はうまくやっていけないんだけど。

実は世界は、世界は 都合よく形を変える。

あなたの世界と、わたしの世界は、同じではない。

 

この町から逃げられない歳のうちは、どこにいても僕は幽霊みたいに存在をしていた。

「田舎に生まれた可愛い一人娘役」をやっていた人生だったけど、それはそろそろ終幕を迎える。

ていうか茶番でした。今までの人生は虚構でした。

自分で自分にスポットライトを当てる。

どうやらそうすることでしか、本当の人生はやれないらしい。

 

思春期以降は、役を演じること自体が年々僕を締め付けるようになった。

鳥籠みたいな町で育ったので、自由は知らなかった。ずっも閉塞感に苛まれていた。

でも、鳥籠の外に出てみても、世界は僕に女の役を求めた。それが自然なのだ。

 

ここ数年で気づいたことだが、人生って…自分のことをやらない限り、世界に存在したりとか生を全うするってことは できないっぽい、です。

どうあがいても何度朝を迎えても、世界は幻想やゲームなんかじゃなくて、実際にある。

自分の肉体や精神、魂も 受け入れ難いが実際にそこにある。そして他者に認識される。感情もある。快楽も痛みもある。死に間際ですら体は勝手に生きようとする。生を感じる。道端の植物とは違う。人間とはそういうプログラミングが施されているのだ。

どうやら"存在"をやるしかないみたいなんです、われわれは。

 

自分自身が"存在していること"に対して、無視をし続けていた人生だった。

なぜなら認識すること自体が苦しかったから。

他者に尽くしたり周りの大人の評価が得られるように動けば、それだけで怒られないし 迷惑かけないし 何も悩まずにいられた。

まぁ、思春期以降その生き方は強大なエネルギーによって何度も破壊されてきたのだが、破壊されるたびに破壊されたことすら"無い"ことにすることで、幽霊みたいにやっていた。

 

でもまぁ、役を演じてる中でもいろんな人間と出会ったりして無限の情報が脳みそに積み重なって 勝手に世界の解像度は上がっていくもので。

幽霊みたいに生きることは本当に無意味だと、最近ようやく理解した。この受け入れは苦しかった。

僕を変えたのはサブカルチャー、仏教の思想、他者の存在。

学校で習ったことは役立たなかった。学校や社会は僕にとって毒らしい。

何に影響を受けているかとか、バイブルの話はまた今度…

 

そうね、生に折り合いをつけるのって難しい…

自分と世界とのちょうどいい境界線を知ったり、苦しみや悲しみを認識して 痛みになったらそれを受け入れるその時まで、虚無感や閉塞感は終わらない。かも。

というわけで、これも自分と向き合うプロセスの一つとしてここに告白するが、僕はいわゆるセクシャルマイノリティだ。

LGBTというやつ。その中の、トランスジェンダーってやつです。いま流行りのLGBT!です。はは…^ - ^

(やだよ〜〜^ - ^)

認識するのに8年ほどかかったけど、モノクロの冷たい地獄に段々色がついてきた。地獄だけど、以前より美しさや楽しさもあるし、まあ生きるのも悪くないなと思えてきた。

 

は〜、マジでさ、こんな風に生まれたくなかったし、親も親戚もこの町も僕も誰もが望んでないですし、子作りできないですし、本当にこれは、とんでもない遺伝子のバグです。

セクシャルマイノリティやトランスについて思うことはまた詳しく書きたい。というかそれについての話は今の人生の課題とも密接なので、これからも続くと思う。

トランスジェンダーは、ただの趣味嗜好で名乗れるものじゃない。"心の性"みたいな概念みたくシンプルで分かりやすいものでもない。

非常に複雑な問題で、それを利用する悪者もいるし、当事者にしかわからない感覚はとても多いし、完全に障害者なのに治療のための保険もないですし、差別はひどいし、てなわけで自殺率はめっちゃ高いですし 存在やめようかな〜〜って思うのは日常茶飯事でしたね。

 

僕のほぼ全ての悩みの原因はトランスであること自体なのだが、この性質を自認して向き合い始めてからは世界との関係とか生きる感覚が大きく変わった。

ていうか人生、自己との対話が大事だと思ってるんだけど、自己理解と自己受容難しすぎ。苦痛すぎる。

自己を認識するためには、どうしても他者が必要なんです。

比較の対象がないとね。

 

結局死ぬまで自分と関わることになるので、とりあえずもう無駄な欲望(容姿とか才能のコンプレックス)は捨てて さっさと自分のことを受け入れたり好きになった方がいいんでしょうね。みんな。

 

きっとこのやり取りにも意味があるんです。

世界や他者から認識されない限り、その肉体や心は幽霊も同然である。

世界が僕を女と認識してる間は、僕は女なのだ。女の幽霊をやっていた。やりたくなかったし別に女なつもりもないんだけど、ただ目立たないようにしてただけ。そこを否定するとやっていけない気がした。

まぁでも、どう足掻いても心というか魂というか それは女じゃないしずっと何かしら叫んでる。それを無視している限りは、嘘の人生だ。

別に存在したくて生まれてきたわけじゃないんだけどね。もうそこに関しては諦めた。

存在しないをやるには死ぬしかない。それって楽だけど、でもつまんなくないですか。

 

自分自身の世界に閉じこもっても自分しかいないわけで、神様かなんか降ってこない限りは変わらない毎日が延々と続くかも、しれない。

認めたくないけど、感情も痛みもあっちゃうし、それと仲良くやっていきたいものです。それ含めて自分なので、切り離していては地に足がつかない。愛したいものです。

 

てな感じでここ最近の僕は、世界と自分と戦いつつある。あらゆるコンテンツを消費したり、作ったりしてみて、なんとか世界に存在してやるぞの気持ちです。女と男とか多様性とか、うるせー。