2023/12/11

僕にとっては、インターネットも、現実も たいして変わらない虚構である。同時に両方リアルでもある。
消費するだけのSNSをやるようなタイプの人間は、現実でも人のことを消費する。僕はインターネットの中ぐらいは正しく存在をやりたいと思っているタイプの人間である。現実にいる時に、アバターを被っているから。インターネットの中では楽にしたい。
インターネットでは好きなアバターを選べるし、見せたいように見せられるし、やりたいようにやれる。
でもそれより外は現実なわけで、現実で問題を抱えている以上はそれをインターネットを使ったりして解消するし、どう足掻いてもどうやら地続きなのだ。見えない境界線はあると思うけど、でも見えないからあんま気にしなくなったな、境界線。



あらゆるものは、表裏一体だし 多面的で紙一重だと思っている。
葉や花びらも、サイコロも、ビルも、月も、ある一方向から見ればその反対側は裏だ。裏は、見えないうちはわからない。月の裏で何が起こっていようと、裏である以上は観測できない。
人間もそうである。同じ心なのに顕在意識と潜在意識がある。我々は夢の世界のことを忘れる。皮膚より上は観測できるけど、内臓や脳みそなんかの活動なんかは見る機会がない。同じ塊の中で起こっている現象なのに。
どこが表で裏なのかは、観測者と対象物の関係によって決まる。あらゆることは表裏一体だし、紙一重だと思っている。
インターネットもそう。
現実とインターネット 両方嘘だし本当。表だし裏。フェイク野郎はフェイクだし、リアルなやつはリアル。
僕から見た世界の像は、デフォルメするとしたらその形はルービックキューブのようなものだ。
面があり、裏があり、表があり、色と色との組み合わせだ。それらを動かして色を揃えたり揃えなかったりする。ある一方向からのみ見てルービックキューブを完璧に揃えることは困難だ。
人の心も、意識も、価値観も、インターネットも、社会のシステムの、地球も、人生も、たぶんルービックキューブと似たようなもん。
宇宙から見たらおそらくそんな変わらん。どこからどう見るかで映り方や捉え方は変わることは当たり前なわけ。
一面だけ綺麗に一色で揃えられても、また別の場所で問題が存在している。逆に表がぐちゃぐちゃでも他の面は綺麗かも。
どっちもあっていいと思うしぐちゃぐちゃでも楽しいなら好きなんですが、やたら色を揃えろ! ってルールにこだわる人間が多すぎる。



僕は肉体が嫌いで、社会が嫌いだ。人間が男か女かで分けられていることがいまだに受け入れられない。でもどうやらそれは重要なことらしく、どっちの生殖器をつけて生まれてきたかで世界観や生き方は左右されてしまうっぽい。(←このシステム意味わかんなすぎ。生きてるうちになんとかなんないの?マジで)
化粧をして女の服を着ていたうちは、消費されながら生きていた。女の肉体で女の格好をしていると、それは女なのだ。
そして消費者の多くは、人間のオスだ。ホモサピエンスの、ヘテロセクシャルで、シスジェンダーの、ホモソーシャルな、男。
インターネットは姿や形に囚われなくていい場所のはずなのに、予想以上に姿や形を求められるを煽られる。住みも年齢も性別もどーだっていいでしょう。ネット広告が異性とマッチしないか誘ってくる。脱毛しないか誘ってくる。・・・うるせー!関係ねー!
赤は女っぽくて青は男っぽい?
神様がそう決めたのですか?

実際に僕も、インターネットのその先にある人間の姿を多少想像したりしてしまう。
どうしても肉体は存在するし、逃れられないし、魂はそれに縛られている。
学校でも就活でも病院でもゲームでもアンケートでも性別を問われる。
体のカタチってなんで二種類なの。自分の肉体からち○こが生えてないことに対するこの絶望感、あまりにも邪魔すぎる。
てか性別の違和感って何だよ(笑)性別とか性器?とか、まぢどうでもいいんですケド(爆笑)
はあ。
肉体ってマジで邪魔じゃないか。
何のためにあるんですか?泣 答えはないのでしょうか?泣 答えを求めること自体愚かなのでしょうか?泣
体に執着するの無駄すぎワロタ とも思うし、実際肉体が存在してしまう以上は何かしらの性別を表現するほかない。し、性別や性愛に魅力や神秘性、愛おしさなんかを感じている部分もある。

でもやっぱりオスとメスで交尾をすることで生命が繰り返され構築されているこの世界のシステムが、いまだに受け入れられない。逃れたい。
ただカワイイのが好きなだけでそれをやりたいだけだったのだが(カワイイって正義だから)、どうやら好きな格好をする'表'の自分と'裏'の自分は 共存していけないようだ。カワイイをこの肉体で纏うと、この社会ではそれは'女'って認識されるらしい。
僕のための可愛さを勝手にカテゴライズしたり装飾しないでくれ。僕の体は性的コンテンツじゃない。お前の可愛さを押し付けないでくれ。社会と戦わなくちゃいけないっぽい。女じゃないけどカワイイのは好き、でもカワイイをやるとこの体と顔のせいで'女扱い'されてしまう。
そんな愚かな男と一緒になりたくないのに、自分にち○こがないことに対してやたら絶望するし執着している。性欲を正しく向け発散する方法がないからこうなっているだけで、仮に元々付いていたら ち○こに脳を支配されたり自分がホモソーシャルに加担していた可能性も充分考えられる。ああ性別ってキモいな。
仮に身分証の性別が男に切り替わったところで、ち○こが生えてくるわけでもない。誰かに恋心を抱いたとして、男性として扱われたとしても、結局セックスの時には'元女'だとバレる。'性別の違和感'から一生逃れられない。(男性ホルモン注射をすると思春期の男子のような性欲が湧きます。これ最初は大したことないと思っていたけど、うまく解消できる方法もないのに無限に湧いてくるので非常に苦しめられている。禁欲するしかねえのかもな。)
金がいくらあったって性別は選べない。

ルービックキューブ。ある日突然配られて、みんな手渡された時点で一面か二面ぐらい揃ってる。何故か僕のはぐちゃぐちゃ。
気づいたらみんなは半分ぐらい揃えてて、僕はそれに気づいて慌てて揃え始めた。どうすればいいのか知らなかったけど、見様見真似でやるしかない。
やっと一面色が揃ったと思ったら、その頃にはみんな結構完成してて。
目立ちたくないからそれ以上揃えるのやめた。一人だけまだ揃えてると目立つから。
それで綺麗な面だけ表にして静かにしていたのに、誰かが急にデカい声で指摘をする。ぐちゃぐちゃだと気になる人がいるらしい。
でもみんなが自然にできるようになったこと僕は誰にも教えてもらってないんだってば!どうすればいいんだよ〜助けてよ〜泣 てか僕がぐちゃぐちゃであなたが困ること、あります?泣 ぐちゃぐちゃ同士で仲良くするしかないのでしょうか・・・

僕はインターネットの人に特別何か期待しているわけではないし、特定の属性を求めているわけでもない。ただ他の面に興味が湧くってだけだ。
人間、表も裏もあって当然だし、どこが表か裏かが重要なわけではない。どっちでもいい。どっちでも角度によっちゃ表だし裏。
表を見せたきゃ見せればいいし、裏を見せたきゃ見せればいいよ。でも強要すんな!巻き込むな!マジョリティ共!
どっちでもいいって思ってるはずなのに、そうしたいのに、どっちかを求められるし実際どっちかだと安心する。といった矛盾を抱えています、常に。
選択の連続、ウザすぎ。

ああ人生って、楽ではないな。激しめに言って地獄。
湯浅政明のアニメ『カイバ』の世界みたいに、肉体がない状態が一番いいだろとずっと思っている。エヴァLCLとかも恐ろしさは感じるのにそうなりたい欲もある。


ていうか人間愚かすぎ。ない方がいい悪だと思ってるし地球はいつか滅びるかもしれないけど、でも実際生に対して美しさや価値も感じる。
自然に思いを馳せていると、心が穏やかになるし命の価値を感じる。ただそこに在るだけの草や花の群れが心地よいし、海や山にはかっこよさすら感じる。そんな自然や動物の命を好き勝手しようと思えばできちゃうのが人間。
いろんな動物の肉を買って食えるのも、駆除できるのも、武器を持てるのも人間だけで、あらゆる命の生殺与奪の権を握っているのは人間だけなのに、人間は欲に塗れているから特権を濫用している。愚かすぎる。
生命は美しいと思うから好きだし、守りたいし、尊いと感じる。情報が資本になった世界のあらゆることは、人間が勝手に意味付けたり解釈したりを繰り返して価値が発生しているだけで、本来はただそこに在るだけなのであって、それを愚かしさによって破壊している人類って本当になぜ誕生してしまったの??
全人類が牛食うのやめれば地球温暖化の大きな原因の一つであるメタンガスの発生が抑えられて環境の改善に繋がるし、それは一番手軽にできる取り組みだし、そういったことの積み重ねで生き物は地球で繁栄し生きていけるのに、みんな気候問題で騒ぐくせしてこういった問題に対しては他人事だし。ああ、そうね、みんな地球のことはどうでもいいのかもしれない。
っていうかみんなを憎むのも無駄かも。仕方ないのさ。なるようになるし、結局愛かも。愛が足りてないんすよ、愛が。
僕もあなたもみんな人類は。
自分や周りの好きな人たちが次生まれ直した世界も、同じように美しいものであってほしいし、全てのことは繋がってるからあらゆる時間と真剣に向き合うべきなんだよな。それが世界に貢献できる方法であり、僕なりの愛だから。

失礼、話が飛躍した。
でも大体いつもこんなことを思いながら過ごしている。

こういう生に対する愚痴や自分なりの哲学・思想のようなものを共有すると、「ぶっ飛んでるね」とか「なんかエモいね」とか言われて済まされる。
僕がま○こ付いてるチビなせいでテメーの性対象に勝手に入れられて消費される。勝手に欲情すんのはいいけど見えないとこで消費してくれ。
実際身長が低い女にやたらこだわる男はキモいと思うし、身長が低いせいで舐められてるなと感じることが多い。悲しい・・・
僕がそんなにおかしいか?フェイク野郎みたいなアーティストが流行る世の中は終わっていると思うんですが、僕の聴く音楽がそんなに変か?
同性愛の何が面白くてネタにするんでしょうか?15秒や30秒の情報を大量に生産して消費するのがそんなに楽しいですか?
まじで社会、ムカつく〜〜〜〜!!!

結論:最近は、三毒(貪:無尽蔵の欲望・瞋:怒りと憎しみの根源・痴:無知と誤解の問題)を捨て切って、今世こそこんなろくなことない輪廻から抜け出したいと思っている。人間の愚かさと向き合うのは試練だから。もうこの魂でも何回も繰り返してきてるはずなんだから、今回もまあまあしんどいけどそろそろむきあって抜け出そうぜと、そう決心しつつある。
ブッダを師だと思っているので)
次は「ぶっ飛んでいる」と言われることに対しての気持ちをもっと書こうかな。

2023/12/05

僕の人生では、秋に誕生日を迎える。

今年特別な誰かと特別などこかで迎えるはずだった誕生日は、ドがつくクソ田舎の地元でひっそりと迎えた。

金持ち風の日本家屋だけど、誕生日に出てくる生ハムは ローカルスーパーのオリジナルブランドが作った一番安いやつだ。まあ、そんなに美味しかねえ。

20回以上誕生日を迎えても祝ってくれる家族がいる。世界への存在を許されているらしい。

でもまぁ、その世界で僕はうまくやっていけないんだけど。

実は世界は、世界は 都合よく形を変える。

あなたの世界と、わたしの世界は、同じではない。

 

この町から逃げられない歳のうちは、どこにいても僕は幽霊みたいに存在をしていた。

「田舎に生まれた可愛い一人娘役」をやっていた人生だったけど、それはそろそろ終幕を迎える。

ていうか茶番でした。今までの人生は虚構でした。

自分で自分にスポットライトを当てる。

どうやらそうすることでしか、本当の人生はやれないらしい。

 

思春期以降は、役を演じること自体が年々僕を締め付けるようになった。

鳥籠みたいな町で育ったので、自由は知らなかった。ずっも閉塞感に苛まれていた。

でも、鳥籠の外に出てみても、世界は僕に女の役を求めた。それが自然なのだ。

 

ここ数年で気づいたことだが、人生って…自分のことをやらない限り、世界に存在したりとか生を全うするってことは できないっぽい、です。

どうあがいても何度朝を迎えても、世界は幻想やゲームなんかじゃなくて、実際にある。

自分の肉体や精神、魂も 受け入れ難いが実際にそこにある。そして他者に認識される。感情もある。快楽も痛みもある。死に間際ですら体は勝手に生きようとする。生を感じる。道端の植物とは違う。人間とはそういうプログラミングが施されているのだ。

どうやら"存在"をやるしかないみたいなんです、われわれは。

 

自分自身が"存在していること"に対して、無視をし続けていた人生だった。

なぜなら認識すること自体が苦しかったから。

他者に尽くしたり周りの大人の評価が得られるように動けば、それだけで怒られないし 迷惑かけないし 何も悩まずにいられた。

まぁ、思春期以降その生き方は強大なエネルギーによって何度も破壊されてきたのだが、破壊されるたびに破壊されたことすら"無い"ことにすることで、幽霊みたいにやっていた。

 

でもまぁ、役を演じてる中でもいろんな人間と出会ったりして無限の情報が脳みそに積み重なって 勝手に世界の解像度は上がっていくもので。

幽霊みたいに生きることは本当に無意味だと、最近ようやく理解した。この受け入れは苦しかった。

僕を変えたのはサブカルチャー、仏教の思想、他者の存在。

学校で習ったことは役立たなかった。学校や社会は僕にとって毒らしい。

何に影響を受けているかとか、バイブルの話はまた今度…

 

そうね、生に折り合いをつけるのって難しい…

自分と世界とのちょうどいい境界線を知ったり、苦しみや悲しみを認識して 痛みになったらそれを受け入れるその時まで、虚無感や閉塞感は終わらない。かも。

というわけで、これも自分と向き合うプロセスの一つとしてここに告白するが、僕はいわゆるセクシャルマイノリティだ。

LGBTというやつ。その中の、トランスジェンダーってやつです。いま流行りのLGBT!です。はは…^ - ^

(やだよ〜〜^ - ^)

認識するのに8年ほどかかったけど、モノクロの冷たい地獄に段々色がついてきた。地獄だけど、以前より美しさや楽しさもあるし、まあ生きるのも悪くないなと思えてきた。

 

は〜、マジでさ、こんな風に生まれたくなかったし、親も親戚もこの町も僕も誰もが望んでないですし、子作りできないですし、本当にこれは、とんでもない遺伝子のバグです。

セクシャルマイノリティやトランスについて思うことはまた詳しく書きたい。というかそれについての話は今の人生の課題とも密接なので、これからも続くと思う。

トランスジェンダーは、ただの趣味嗜好で名乗れるものじゃない。"心の性"みたいな概念みたくシンプルで分かりやすいものでもない。

非常に複雑な問題で、それを利用する悪者もいるし、当事者にしかわからない感覚はとても多いし、完全に障害者なのに治療のための保険もないですし、差別はひどいし、てなわけで自殺率はめっちゃ高いですし 存在やめようかな〜〜って思うのは日常茶飯事でしたね。

 

僕のほぼ全ての悩みの原因はトランスであること自体なのだが、この性質を自認して向き合い始めてからは世界との関係とか生きる感覚が大きく変わった。

ていうか人生、自己との対話が大事だと思ってるんだけど、自己理解と自己受容難しすぎ。苦痛すぎる。

自己を認識するためには、どうしても他者が必要なんです。

比較の対象がないとね。

 

結局死ぬまで自分と関わることになるので、とりあえずもう無駄な欲望(容姿とか才能のコンプレックス)は捨てて さっさと自分のことを受け入れたり好きになった方がいいんでしょうね。みんな。

 

きっとこのやり取りにも意味があるんです。

世界や他者から認識されない限り、その肉体や心は幽霊も同然である。

世界が僕を女と認識してる間は、僕は女なのだ。女の幽霊をやっていた。やりたくなかったし別に女なつもりもないんだけど、ただ目立たないようにしてただけ。そこを否定するとやっていけない気がした。

まぁでも、どう足掻いても心というか魂というか それは女じゃないしずっと何かしら叫んでる。それを無視している限りは、嘘の人生だ。

別に存在したくて生まれてきたわけじゃないんだけどね。もうそこに関しては諦めた。

存在しないをやるには死ぬしかない。それって楽だけど、でもつまんなくないですか。

 

自分自身の世界に閉じこもっても自分しかいないわけで、神様かなんか降ってこない限りは変わらない毎日が延々と続くかも、しれない。

認めたくないけど、感情も痛みもあっちゃうし、それと仲良くやっていきたいものです。それ含めて自分なので、切り離していては地に足がつかない。愛したいものです。

 

てな感じでここ最近の僕は、世界と自分と戦いつつある。あらゆるコンテンツを消費したり、作ったりしてみて、なんとか世界に存在してやるぞの気持ちです。女と男とか多様性とか、うるせー。